1 :名無しさん@おーぷん
1946年4月1日のアリューシャン地震津波でハワイ島では159名のタヒ者が出たが、その中にはエイプリルフールだったため海の様子がおかしいと聞いても信じずに亡くなった人もいたらしい

ええ・・・
3 :名無しさん@おーぷん
エイプリルフールとかいう悪習はなくすべきだよね
5 :名無しさん@おーぷん
エイプリルフールは百害あって一利なしだよな
6 :マーテル ◆9L0/8ZHtwo
ふーむいったいどうすればいいのやら
7 :名無しさん@おーぷん
東日本大震災の日に「仙台市若林区荒浜で200〜300人の遺体が見つかった」という報道があったが、実際にはそれは誤報だった

ええ・・・
10 :名無しさん@おーぷん
>>7
ラジオでこの報道きいてビックリしてた
12 :名無しさん@おーぷん
>>10
だよな テレビで見て印象的だった
8 :名無しさん@おーぷん
雲仙普賢岳の噴火で避難勧告を無視したひとがいたようで
テレビで丸コゲになった人が映った。
「うあ〜!うあ〜!」
とのたうち回ってた。
火山が噴火すると溶岩とかじゃなくて高熱の煙がハイスピードで降りてくるらしいね
11 :名無しさん@おーぷん
>>8
火砕流から立ち上った高温のガス(火災サージ)が風に流されて、火砕流の流路から離れたところにいたのに焼かれたらしい
14 :名無しさん@おーぷん
>>11
そそそ
あと火山ガスの中毒症状でタヒぬ人も多い
126 :名無しさん@おーぷん
>>11
超絶今さらやけど、火災サージじゃなくて火砕サージだわ ミスった
13 :名無しさん@おーぷん
エイプリルフールは「その情報が嘘か真かを他人に頼らず自分で確かめる日」という意味もあるのかもな。
16 :名無しさん@おーぷん
1993年の北海道南西沖地震では、救援物資として全国各地から送られた衣類約1,200トンが不要となり焼却処分され、処分費用約1億2千万円が自治体の負担となって重くのしかかった。

ええ・・・
17 :名無しさん@おーぷん
>>16えぇ…
19 :名無しさん@おーぷん
被災地が必要なものを大々的に報じたらいいんじゃ
21 :名無しさん@おーぷん
>>19
必要なものをネットなどで伝える、という試みは熊本地震でも行われた
25 :名無しさん@おーぷん
>>19
東日本大震災が教訓になって台風での災害の時に何でも募集しないで必要な物をキチンと管理できるように募集してたっけよ
20 :名無しさん@おーぷん
支援物資の毛布なんか明らかに不衛生なものが大量にあったらしいね
うん〇とかカビだらけとか
22 :名無しさん@おーぷん
>>20
まあ、基本的に要らんものを送ってんだろうね
35 :名無しさん@おーぷん
>>22
うちは封を切ってない歯ブラシを出した
26 :名無しさん@おーぷん
>>20
これでも有り難がって使うだろう、ってか
人を馬鹿にしてるな
29 :名無しさん@おーぷん
>>26
海外に送る服も酷いらしいぞ
23 :名無しさん@おーぷん
折り鶴はまじでいらんいやがせやろ
27 :名無しさん@おーぷん
折り鶴は適度にちぎって焚き付けに使えばいい
30 :名無しさん@おーぷん
>>27
ワロタ
31 :名無しさん@おーぷん
東日本大震災の時、茨城県東海村の東京電力常陸那珂火力発電所では、作業中の9人が煙突の高さ220メートル地点で宙づり状態になり、5人はヘリで救助されたが、うち4人は転落してタヒ亡した。

ええ・・・
33 :名無しさん@おーぷん
>>31
亡くなった4人はもちろんだけど、その5人もいたたまれないね
47 :名無しさん@おーぷん
>>31
近所だが火力発電の煙突から落ちてタヒんだとは聞いてたがヒドイな
ヘリが定員でもう一回来るつもりだったんだろうが
34 :名無しさん@おーぷん
>>31
時間が間に合わなかったってこと?
41 :名無しさん@おーぷん
>>34
詳しいことはわからない
揺れの時点で落ちた人もいると思われ

220メートルに取り残されて周りの仲間が落下してタヒ亡って、凄まじい恐怖だと思う

津波ばかり取り上げられるけどこういうむごい話も残ってるから忘れないでね
51 :名無しさん@おーぷん
>>41
石油タンク大爆発したとこもあるからな
この世の終わりかと思いような大爆発
50 :名無しさん@おーぷん
>>31
それはええ…ってか普通に悲惨な事故じゃね
53 :名無しさん@おーぷん
>>50
言葉を失う、的なニュアンスやと解釈してくれ
66 :名無しさん@おーぷん
>>53
ええ…だと言葉を失うってか馬鹿か?みたいなニュアンスだと思ってたわ
32 :名無し
えぇ
36 :名無しさん@おーぷん
熊本地震の時、知り合いがトイレにとじこめられた話を聞いた。
酔ってたのでどう助かったのか覚えてない今すごく気になる。
37 :名無しさん@おーぷん
物資送る奴は馬鹿だと思ってる
物はいらないから金送れ
必要なものは現場で判断する
38 :名無しさん@おーぷん
六年使ったランドセルを東日本の時送ったなぁそういえば
綺麗に使って生涯とっておこうと思ったんだが役に立ってるといいなぁ
39 :名無しさん@おーぷん
>>38
い ら ね ー
40 :名無しさん@おーぷん
>>38
被災した人間が何故ランドセルを使うのか
42 :名無しさん@おーぷん
>>39
>>40
小学校に上がる予定の子どもが家もランドセルも流されて困ってるから
ランドセルを送ろう、みたいなやつに参加したんだ
43 :名無しさん@おーぷん
東日本大震災の時、霞ヶ浦の鹿行大橋が落下し、1人がタヒ亡した。
橋は一九六八年架設と古く、未耐震だった。
新しい鹿行大橋への架け替えは2002年に県が着工。だが用地買収などに手間取って工事は遅れ、撤去されるはずの未耐震の橋が使われ続けた。落橋後、前倒しして丈夫な橋が架かった。
44 :名無しさん@おーぷん
地震の前に架けとけや
起こった後でならどうとでも言えるけどさ
45 :名無しさん@おーぷん
>>44
橋が無くなって困って架けたんやろなあ
48 :名無しさん@おーぷん
2016年の福島県沖の地震では、柏市で就寝中の生後3カ月の男児が、揺れに驚いた父親に顔を踏まれ、顔面打撲の軽傷を負った

ええ・・・
52 :名無しさん@おーぷん
>>48
軽傷でよかったな…でもあれだけ大きな地震起きると俺も焦って周り見えなくなるかもしれん
55 :名無しさん@おーぷん
>>48
もう一緒には寝れないなw
49 :名無しさん@おーぷん
見てるから頑張ってな
54 :名無しさん@おーぷん
東日本大震災の被災者が自虐ネタのyoutubeをアップしてて
シャボン玉とんだ・・・(微笑ましい子供たち)
屋根まで飛んだ・・・(被災住宅)
屋根まで飛んで・・・(カメラが振り返る)
壊れて消えた・・・(土台しかない跡地と家族)
視聴と支援ありがとう・・・(カメラマン参上)

ええ・・・どう反応すればいいんだよ
56 :ななしさん@おーふん
天災から人災になっとるな
57 :名無しさん@おーぷん
1968年の十勝沖地震(三陸沖地震)では、小学校の校庭が滑動崩落し4名の児童が亡くなった。

1964年新潟地震では、新潟市で25才の女性が地下水を噴出した地割れに陥ってタヒ亡した。
地震後,砂の間から片腕だけが空中に出ていたので
掘り出してみると,地割れに落ちた女性が這い
上がろうとして片腕を上げたまま砂に埋まってタヒん
だことがわかった。
山形県酒田市立第三中学校では,校庭を横切って
避難中の女子生徒が液状化した地盤にできた地割れ
に落ちたあと、地割れがそのまま閉まってタヒ亡した。 

ええ・・・
59 :名無しさん@おーぷん
>>57
地割れ怖
インディージョーンズやん
121 :名無しさん@おーぷん
訂正
>>57の校庭が崩壊したやつは小学校じゃなくて多分中学校だわ
58 :名無しさん@おーぷん
落下物が気になるけど足元も気を付けてね、という話。
60 :名無しさん@おーぷん
大自然恐るべし
61 :名無しさん@おーぷん
まだあるの?
63 :名無しさん@おーぷん
>>61
そろそろ風呂入って出掛ける
62 :名無しさん@おーぷん
1902年のプレー山の火砕流では2〜4万人がタヒ亡し、サン・ピエール市内の生存者は3人と言われる。
近くに実施予定の選挙のため、市民が市から退避するのを防ごうと、市の首脳部や新聞社はプレー山の活動を過小評価し、あるいは無視して、差し迫った危険を市民に知らせなかった。島の地形がサン・ピエール市を災害から守るようになっていると信じて郊外から市内に移った人々もいた。

ええ・・・
122 :名無しさん@おーぷん
あと、>>62について訂正じゃないけど補足
実際にサン・ピエールは地形的には比較的安全で、火砕流の流路からも外れてた
ただ、雲仙普賢岳のと同じように、火砕サージ(熱雲)が流されてきて全滅した
64 :名無しさん@おーぷん
線路のガード下の窪んでる道路で、車が浸水にはまって動けなくなって110番通報されたのがあったけど
同じような遭難が近くにあってそこから通報されたと思って対応してたら、110番通報したほうがついには
沈んで亡くなったっていうのがあったな
68 :名無しさん@おーぷん
>>64
あったな
たまたま近くのトンネルで同じ状況になってて、そっち救助して満足しちゃったんだよな
まあ出られなくなるまで車にいるババアも馬鹿だが
69 :名無しさん@おーぷん
>>64
>>68
kwsk
72 :名無しさん@おーぷん
>>69
ババアが水没しかけてる高架下のトンネルだかに乗り込んで、案の定水入ってエンジン止まって110番
呼ばれた警察官が現場行ったら、たまたまその隣の高架下でも同じ状況の人がいて
そっち助けて満足してたら、元の通報者が車の中で馬鹿正直に救助待っててそのまま溺タヒした
75 :名無しさん@おーぷん
>>72
ええ・・・

こんな感じ?
http://i.imgur.com/0cmMD1L.gif
76 :名無しさん@おーぷん
>>75
前面のグリルの部品が脱落してるね
78 :名無しさん@おーぷん
>>75
あぁ、これで驚いて止まってしまったんだろうな
73 :名無しさん@おーぷん
>>69
栃木県鹿沼市だったかな
Wikipedhiaにもなさそうだし、ググっても怪しげなブログばっかりだけど
80 :名無しさん@おーぷん
>>73
鹿沼市 トンネル 事故 水没
でググったらヒットしたわ
82 :名無しさん@おーぷん
>>80
ありがとう
65 :名無しさん@おーぷん
災害の画像を貼れよ
67 :名無しさん@おーぷん
>>65
貼ってくれてええんやで
70 :名無しさん@おーぷん
1958年、アラスカ州のリツヤ湾で発生した津波は遡上高524メートルに達した。

ええ・・・
74 :名無しさん@おーぷん
冷静に考えれば車の中が水で満たされればドアも開けることが可能な気が・・・
77 :名無しさん@おーぷん
東日本大震災の時の話
沿岸部地域で避難呼びかけ中に津波の接近に気づかず危うく飲み込まれかける
堤防のせいで全く海の状況わからなかった(´・ω・`)
79 :名無しさん@おーぷん
水に入ったらアクセル踏んでエンジン吹かさないと水入って止まるからな
81 :名無しさん@おーぷん
東日本の時、避難を呼びかけるアナウンスを放送し続けてた役場の女性職員が津波に巻き込まれて亡くなったみたいね
混乱もあって職員の避難が遅れたんだろうね・・・
83 :名無しさん@おーぷん
>>81
南三陸町の話だね
耐震構造の防災庁舎を拠点として、町長以下の職員が対処に当たっていたんだけど、
想定を遥かに超える津波に防災庁舎も襲われ、アナウンスしていた方も亡くなった。

なお、町長自身も津波に襲われたが、何名かの町職員とともに防災庁舎の屋上に立っていた電波塔にしがみ付き、
辛うじて生還できた。


(一方、大槌町では地震直後に町役場の庁舎前で災害対策本部を開設し、町長以下の主要幹部が対処していたが、
そこを津波に襲われ、殉職している。)
84 :名無しさん@おーぷん
>>83
あれは仕方ないよな…

悲痛な放送のおかげでこれはヤバイと思えて逃げられたって人がたくさんいて泣いた
85 :名無しさん@おーぷん
あんな大混乱のなかで必タヒに対応したのに後から訴えられるとかキツイよな
86 :名無しさん@おーぷん
>>85
訴えられたのとかあんの?

米軍人がトモダチ作戦参加したせいで被爆したっつって恥さらしてたのはあったけど
88 :名無しさん@おーぷん
>>86
「子供(殉職した町職員)が亡くなったのは、災害の想定が甘く、職員への退避指示が遅れたためだ」として、
自身も津波に襲われながらも、何とか生還した町長が訴えられているよ。

こんなことを書けば非難されるけど、正直、「何だかなあ・・・」とは思う。

でも、このような災害は誰の所為にもできないものだけど、それでもなお、誰かの所為にでもしないと、
何かの取っ掛かりを見出さないとやりきれないのだろう。
89 :名無しさん@おーぷん
90 :名無しさん@おーぷん
>>89
雲仙普賢岳の火砕流やね
この動画の音は最初から最後まで全部付けたしだから注意ね
あと、前半で写ってる火砕流と後半の地上からのやつに写ってる火砕流は別のやつ 編集で繋がってるだけ
93 :名無しさん@おーぷん
>>90
飲み込まれたカメラマンが抱きかかえてたフィルムが生きてたんだっけ?
94 :名無しさん@おーぷん
そういや御嶽山の噴火もええ…って感じの災害だよな
噴火撮影しててタヒんだ人が多いとか
104 :名無しさん@おーぷん
今知ったんだけど奇跡の一本松駅なんてのがあるんだなw
105 :名無しさん@おーぷん
サイボーグ松だけどな
108 :名無しさん@おーぷん
>>105
元のやつ蝋人形みたいに保存するのかと思ったら、まったく似てない金属製の奴になってた気がする
124 :名無しさん@おーぷん
そうだよな、地割れって閉じるんだよな
地割れ見ても絶対近付くな言われた思い出
125 :名無しさん@おーぷん
20世紀最大の地震被害は、中国で1976年に起きた唐山地震で
タヒ者24万人。(60万人という説もある)

耐震建築のできる前で崩れやすいとはいえ、タヒにすぎだろ。
127 :名無しさん@おーぷん
援助物資を食い物にした話であれば、マナグア地震の例を出すべき。

1972年、南米ニカラグアの首都・マナグアでM6.2の直下型地震が発生、
都市はほぼ壊滅し、タヒ者約6000名、負傷者約20000名の大きな被害をもたらした。

これに対し国際社会は多数の援助物資・義援金を送ったんだけど、
当時、独裁体制を敷いていた大統領とその一族で全てを着服しやがったんだ。

当然、壊滅したマナグアの復興は全く進められることはなかったので、
人々は仕方なく、瓦礫と化した市街地をそのままにして、瓦礫の周囲に新たな市街地を建設した。
92 :◆3zNBOPkseQ
いろんな災害おきてんだな
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1484991047